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大学から追い出されそうになっている話 (除籍回避チャレンジ2016冬)

近況

タイトルまんまです。今の自分の状況がかなりヤバいので退学Advent Calendarに投げようかな~と思って文章を書き起こしました。このブログの毛色からするとちょっと異色の自分語り回になる気がしますが読んでやってください。まあ数年たった時に読み返して鼻で笑える程度の日記になればいいなと。

 

 

 

思いつく限りちょっとずつ人生を振り返りながら書いていきます。

 

 

 

オタクになる

まあ推して知るべしというか、僕という人間を語る上では外せないインシデントというか。小5のころくらいにハルヒの単行本を読んだり、ハヤごと!のアニメを観てハマったりとかいうイベントがあって小学卒業の頃までにはオタクになっていました。もともと休み時間に皆が外で遊んでいる中教室で本を読んでいるようなタイプだったので、なるべくしてなったんじゃないですかねえ。軽くいじめ、というかハブられているような時期もあったりしました。幸いなことに小5~6の頃には周りにオタクの友達を作れていたのでその点は恵まれていたと思います。

 

 

中学受験をして中高一貫校に入る

小学5年生くらいの時期に父親に受験を勧められて受けることを決意しました。当時まだ目新しい試みだった公立中高一貫校、「中等教育学校」です。真面目に勉強し(させられ)始めたのが小5の秋くらいからでしょうか、小6の長期休暇は毎日町田にある実家から水道橋まで電車に乗って予備校に行かされていた記憶があります。

それ以外の日は深夜まで父親に勉強を教えられていました。あまりその頃から要領はいい方ではなかったからか結構手や足を出されていたのは覚えています。

 

 

合格

苦労のかいか学校に合格し、実家から毎日1時間半かけて中高一貫校に通うことになりました。高校受験がないのは楽だと思われそうですが、日々の課題などは結構きつい学校だったと思います。何かと感想文などを大量に書かされるので、文章の作成は得意になったかなあ。あと、色々な地域から生徒が集まる学校だったのでそこで交友関係が築けたのは良かったですね。中高6年間ありますが今でも付き合っているのは実は後期課程の3年の交友関係が続いてる感じ。

行動圏が秋葉原に近いためオタク化がかなり加速したのもこの時期です。このくらいの頃は深夜アニメ第1話はとりあえず全部見て、3話までに視聴タイトルを絞る、みたいなやり方でアニメ鑑賞をしたりもしていました。初めて即売会に足を運んだのが中2の例大祭……だったかなあ。

 

 

父親と疎遠になる

在学中はかなり問題を起こしていたと思います。休み時間に大音量で教室で音楽を流したり、ゲーム機や音楽再生機器を持ち込んで反省文を何枚も書いたり。担任や両親も頭を痛めていたのではないでしょうか。

勉強や考査に関しては当初はあまり努力をしていなかったために、父親はあまり自分が気に入らないようでした。努力してもっと上を目指してほしかったんだと思いますが、中3くらいのころからあまり口をきいてくれなくなったように覚えています。それまではレジャーに連れて行ってくれたりと色々世話を焼いてもらっていましたが、そういったことも無くなり、叱られる時程度しか会話が無いような関係になりました。この辺から暗雲が立ち込め始めます。

 

 

運動部を退部する

僕の学校では前期課程(中学3年相当)のうちはいずれかの部活動に所属しなければいけない決まりになっており、父親には運動部に所属することを進学前から勧められていました。その流れで硬式テニス部に所属していましたが、あまり真面目に取り組んでおらず、公式戦には一回も出ていません。社会不適合者なのかルールのあるスポーツは性に合わないのかもしれません。スキーとか山歩きとかは好きなんだけど。

後期課程(高校に相当)に移行し先述の縛りがなくなったために退部し、その後は友人のツテで演劇部に加入しました。そちらでもあまり真面目には活動していませんでしたね。一応卒業までは居座っていましたが。

 

 

不登校になる

ここで1回目のアクシデントが起こります。高2の頃から朝起きるのがどうしてもつらくなり、立ちくらみ等が激しくなります。起立性調節障害ではないかとの診断を受けましたが特にこれといった対策はしませんでした。何となく遅めに起きて、遅めに学校に向かって小田急線に乗り、途中で降りて多摩川の河川敷でぼーっと時間を潰したり、新宿西口のブックオフでCDや本を漁ったり、学校の最寄り駅まで来てから踵を返し家に帰ったりしていました。なぜか学校に行くのがしんどかったです。今とあまり変わらないか。

 

 

大学受験

とりあえずは「自称進学校」ということで大学受験をするのが当然、という雰囲気の中で僕も例にもれず何となく受験をすることになりました。といってもなんとなく不登校になる程度には勉強が好きではなかったのでかなり大変でした。進路を決めるのもあまり勉強をしたくなかった為何となくで美術系にしましたが、明らかに間違いだった気がします。この時点で大学を舐め腐っています。ちなみに、第1志望は今の学校(総合大学美術系学部)ですが、第2志望以下はMARCHの普通~の文系学部でした。高3いっぱいを使って画塾に通いつつ、学科は学校の勉強だけで何とかしていました。一度普通の予備校にも通いましたが、僕は付いていけずすぐにドロップアウトしました。

なんとか滑り止めに受かりつつも第1志望に合格した時は嬉しかったです。真面目にやってはいなかったと思いますがそれなりに辛い1年間でしたから多かれ少なかれ報われたような気はしましたね。あとから点数開示をみたら実は学部中最低点で受かっていたことが分かりちょっとした衝撃を受けました。俺がボーダーだ。

 

 

一人暮らし

大学が実家から離れているところにあるので一人暮らしを始めることになりました。今思い出しましたが実家を出たいと思っていたことも大学選びの理由になっていたと思います。あまり家にいたくなかった。

とは言いつつも4月~6月辺りまではかなり辛かったと思います。自宅の周りに何があるのかも分からず(1年半暮らした今でも特に何もないと思っていますが)、道も分からず友達もおらず……といった感じで一人でアニソンを聴いて(自分REST@RTとか)常にメソメソ泣いていた気がします。今思えば適応障害っぽい。

それからサークルにも慣れはじめ、春~夏は結構頑張って大学に通っていました。(それでも6個くらい単位を落としてた)

 

 

大1の夏休み

サークルで免許合宿に行って免許を取ってきたり、色々ライブに足を運び始めたのがこのころでした。夏休みよりは前になりますが、アイマスの10周年ライブに行ったのがかなり後の人生に響いています。良くも悪くも。「こんなモノがあるのか……!」という感動がただただありました。

9skmz.hatenablog.com

最後の「アイマス最高!」がメッチャ臭くていいですね。自分で読み返して満面の笑顔になりました。

 

 

免許合宿でサークルの一つ上の悪いオタクの先輩と仲良くなり、声優オタクへの道が開け始めました。同時期にBanG_Dream!のライブにも知り合いに誘われ始めて足を運びます。

受験期~入学の辺りまでずっと頑張っていましたが、その勢いが2か月の休みで一気に失速した感じですね。大学より声優イベントの方が面白いじゃねえか! と。もちろんイベントのせいにするのは良くありませんが、このころからバイトを増やし資金を創成しイベントに熱中し始めます。

 

 

大学でも不登校

大方の予想通り(誰によって?)休み明けから学校に復帰できず欠席が増えていきます。1限はいいや、が2限はいいや、3限はいいや……とズルズル遅くなっていくのにそう時間は掛かりませんでした。気づけば半期の取得単位数は7単位でした。デザインの勉強をしたくて大学に入ったはずなのになぜ鉛筆デッサンや抽象画や紙工作ばかりをさせられるんだろう……と漫然と不満を感じていました。親にも成績の惨状は通知が行っていたはずですが、当時の僕は軽く言い訳をして話を終わらせていたんだと思います。それ以降も親(母親)からは心配する旨のLINEが度々届いていましたが適当に返信していました。

 

 

大学2年生

大1の後半で失速したままズルズル引きこもりが進行し、バイトとイベントとサークルの時だけ家の外に出る生活をしていたら1単位も取れませんでした。まあ当たり前だよね。全く学校に行っていないまま2か月ほど経過したときに担任教員から呼び出しが掛かり、大丈夫? と訊かれたことを覚えています。その時は夏休みまで休んで秋からまた来ます、と答えましたが出来るわけもなく秋からもズルズルバイトとイベントとサークルだけで生きることになりました。

流石にヤバいと思われたのか担任教員が親に連絡をし、今まで自分がどんな生活をしていたのかが詳らかに親と担任の知るところとなりました。親と教員と僕の三者面談がセッティングされたのですが、それを前の晩徹夜で車に乗って遊んでいたため寝坊してブッチするという大変なことをやらかしたりするくらいマトモじゃない状態になっていました。大学にいたいのか、それとも外に出て働くのか? という決断を迫られ、とりあえず今大学を出ても生きていける未来が見えないということでダラダラ大学に居残る意思を表示したのがつい最近のことですが、やはりそうは問屋が卸さないらしく、年間15単位が取得できない生徒は自動的に除籍になるとのことでした。担任が非常に親身になって僕の心配をして頂ける方だったのが幸いし、根回しなどもしてもらって何とか今は秋の授業を取りつつどこかで回収できる単位がないか……と探したり拾ったりしているところです。ぶっちゃけこれが正しい選択だったのかは分かりません。もしかしたら外に出て地を這い泥水を啜って生きる方が自分の為になったのかも知れませんし。

 

とにかく今は除籍回避を目指してアレコレやっているところです。つい先日は2000000年前に落とした授業の最終課題をありえないレベルで遅延提出し温情で単位を出してもらったところなので職業を「大学生」から「時間遡行者」に変えようかと考えています。

 

正直ツラいです。将来の夢なんて明確に決めずに何となくで決めた大学に来て、「そのうち見つかるだろうな~」みたいな甘い考えで生活していたせいというのも原因としては大きいと思います。「大学に入ればやりたいこと見つかるよ」なんて言う人もいますがあれは嘘っぱちです。絶対に信じてはいけません。死ね。入ってからが辛いです。死にたい。

 

この記事を1年くらい経ってから笑って読み返せたらいいなあ。

また思うところがあったら適宜加筆修正するかもしれません。