『アイドルマスター シンデレラガールズ』第21話-24話感想 - 重すぎる荷を背負わされた島村卯月

アニメ本編も残すところ1話となってしまいました。第24話で、ようやく第21話から始まった島村卯月の物語がひと段落しましたね。

 

 

今回の放映終了後、プロデューサーのなかでも意見が二分されているのが印象的でした。ただ、この数回の展開を評価する人も、批判する人も、どちらの意見も納得できるものです。

 

 

第24話を視聴した後、僕はなんというか「肩透かし感」を感じていました。散々引っ張ってきた卯月の物語がこれで終わりか、こんなもので終わりなのかという不満足感を感じていたわけです。その後時がたつにつれ徐々にストンと納得がいくようになったのですが、その過程を少し整理して書いていきたいと思います。

 

 

 

「集団」ではなく、「個人」に焦点を当てる

まず、この「アニメ『アイドルマスター シンデレラガールズ』」という作品の構造上の性質から辿っていく必要があります。比較対象としてアニメ『THE IDOLM@STER』を挙げてみますと、アニデレのストーリー構成の特徴が分かりやすくなります。

アニマス」では、仕事での日常風景を通しキャラクター一人一人の人格を描いたのちに、如月千早の挫折と復帰を765プロダクションという大きな集団で見守り、その後また、春香のリーダー性を描く、という構成になっていました。アニマスでは、「みんなで頑張る765プロ」という集団の描写がなされています。

それに対し、「アニデレ」では「登場キャラクター各々が個人的な、もしくはきわめて小規模な集団内で問題を抱え、その問題を各々(と周囲の数人)が解決し、超克する」という流れの集合が一つの作品、細かく言えば2期の流れになっています。アニデレでは「みんな」という姿の描写ではなく、キャラクター個人個人の長短含めた人格の掘り下げに重きが置かれていたように感じます。

 

アニマスが作品を通して集団の成長を描く物語だったことに対して、アニデレは個人の成長を描く物語だったのではないでしょうか。結果的に、前者は壮大(という言葉が正しいのかはわかりませんが)なメッセージひとつを持ち、後者は非常にささやかなメッセージを登場人物の数だけ僕たちに届けることになりました。そのどちらが優れているという訳でもなく、どちらも質は高かったと思います。

 

山場がなかったアニデレ

ただ、アニデレの致命的な欠点として、物語の最終章で解決する課題に、島村卯月個人を置いてしまったことにあると思います。個人の成長を深く切り込んで描いていくという手法は非常に功を奏していたと思いますが、最終章の盛り上がりとするには島村卯月の物語はいささか抽象的すぎたのではないでしょうか。具体性に欠けるせいで視聴者からするとどこかつかみどころのないような物語のように思え、最後の山場としては不完全なものになってしまったように感じました。第1話から「笑顔」がキーワードになっていただけにこういう話になるのは既定事項だったのかも知れませんが、まず島村卯月が、天海春香に比べると主人公としての適性を持たない人間だったようにも感じます。リーダーでもなく、目標すらなく、ただ散漫に日々を過ごしているくせに、いざ周りの人間が一歩踏み出すと焦燥感に駆られるような「普通の女の子」に、主人公という大役を与えたことはいささか買いかぶり過ぎだったのではないでしょうか。もしくは、彼女を主人公に据える決断をした時に、彼女に何か一つでも与えるべきものがあったのではないでしょうか。

 

以上のような原因から、僕が感じた「肩透かし感」が生まれたのではないかと思います。

 

 

 

 

先ほども言った通り、アニデレの「個人を掘り下げる」という方針は成功していたと思います。だからこそ僕はTwitterで「アニマスより好きかもしれない」「2期を見てBD購入を決めた」などと発言していたわけです。もし卯月の物語がもう少し具体性を伴ったものであったなら、僕は手放しでアニデレを称賛していた可能性だってあります。

 

 

 

振り返りとして少し細かい事を言うのであれば、このアニメは肩の力を抜いてみることができないアニメだったな、というのもありました。

確かに演出は凝っていた。ただ、精巧な暗喩や仕掛けの比重が高く、例えば一瞬たりとも目を離すことが出来ない(と思わせるくらいの)映像とか、観終わった後に辞書を引いてやっと意味が分かる要素だとか、そういったものが多く、視聴者に求める読解能力が高い作品です。

 

「ストンと納得がいった」というのは最終的に、卯月の物語の微妙さを補って余りあるほどそれまでの展開が魅力的だったため、総合して「うん、まあ……好きだな」と思えたからです。完結したわけではないので今評価を下すのは時期尚早かなという感じもしますがね。

 

もしあと1話で卯月の物語が思いもしないほど素晴らしいものになったなら、僕は喜んでアニデレに満点印を付けるでしょう。オタクの手首にはモーターが入っていますから、いつどちらに返るか分かりません。

 

アニメ『アイドルマスターシンデレラガールズ』のなかには「魔法をかけられてお城に招かれるが、12時を過ぎて魔法が解けたあとに自分の靴で階段を駆け上がる女の子たち」というテーマがありました。しかしそこに、物語の背骨としての一貫したメッセージというものは無いのかもしれません。メッセージがあるとすれば、必死になって階段をかけ登る一人一人のアイドルに関するストーリーから、あなたが何を得たか、ということです。