天気の子を見てきました。
本田翼がどうのこうのとか君の名は。を想像して行くと違うとかアレコレ言われてましたがだいたいの新海作品を見た人の感想を結論から言うとなかなか良かったと思いますし、身の回りの人にもかなりオススメしたい作品だなという実感があります。
新海誠作品の何が良いのか。
彼が描く世界って、見た目は凄く綺麗なんですよ。空が色鮮やかで、水や、空気や、花のどれをとっても透き通った雰囲気がある。でも物語を追っていくと重いテーマが扱われていて、主人公たちはそんな世界に翻弄されていく。たとえ望む結末にならなかったとしても、彼らは放り込まれたその世界で生きていかなくてはならない。
世界がクソであることを認めた上で、その世界から一瞬だけ映し出される綺麗な部分を濾し取ってアニメにした、そんな作品ばかりです。だから僕たちは、完全なるハッピーエンドじゃない新海作品を見ても、自然とああ、生きよう、生きていかなきゃいけないんだという勇気を貰えるように思うんです。
今回の作品はそんな新海作品のひとつの到達点のような作品でした。
今までの新海作品では、主人公たちの前にかならず何か障壁が立ちはだかる、ということがテーマでした(初期はその障壁を認めたうえで人生は続いてゆく、という形式で物語が終幕を迎えることが多かったです。最近は障壁を克服してハッピーエンドに向かうことが多い)。
『ほしのこえ』なら「時間」。
『雲のむこう、約束の場所』なら「戦争」。
『秒速5センチメートル』なら「距離」。
『星を追う子ども』なら「生と死」。
『言の葉の庭』なら「対人トラブル」。
『君の名は。』なら「天災」。
どれも、歴史レベルのスケールの大きいことか、それとも人と人同士のきわめて小さいことかの二極に偏っていました。
そして、今回の“障壁”は、「わたしたちの社会」でした。
今までの作品に登場したどの問題よりも我々に身近な問題なのではないだろうか、と私は思います。
作中に登場する大人は、主人公たちを理解してくれません。
帆高が東京に飛び出してくる原因になったのは、島の社会が息苦しかったから。
陽菜は「誰にも迷惑をかけてない」のに、警察は「問題がある」として児童相談所に送ろうとします。
風俗店で陽菜を働かせようとするチンピラ。
「晴れ女」を面白おかしく消費するマスコミ。
中学生が嘘をついてまでバイトをしないと生活できない世の中。
様々な「社会の悪意」が登場します。
映画では主人公に寄り添って、悪意に腹を立てて観ている視聴者も、映画館を一歩出ればそういう世界で涼しい顔して生きている。
そのような社会を「止まない雨」になぞらえて、「狂っている」ことを監督は伝えたかったのではないでしょうか。
今までの新海作品とは違い、中規模のスケールの問題を提示し、確実に見た人全員に刺さるメッセージが含まれていることが、一つの到達点だったということです。
ただ、最後にそんな大人たちに歯向かった大人が一人いました。
それが須賀圭介です。彼は帆高を説得するつもりで代々木の廃ビルで待ち伏せていましたが、最後には警官を突き飛ばし帆高を送り出す役目を果たしました。
狂った世界で、圭介のように勇気を出してみることも、時には必要なのかもしれません。
物語の結末。
帆高は雨の降る世界で生きていくことを選択しました。
そればかりか、何度も戻りたくないと言っていた島に戻って、高校を卒業します。
「狂った世界」で生きていかなくてはいけない。これは新海作品に通底するテーマです。
でもそんな「狂った世界」にも、会いたい人がいる。
応援してくれる大人がいる。
だから生きなきゃいけないんだ。
今回も面白い作品だったと思います。